人見知りな性格から人と話すのはあまり得意ではない。
人に心を開くのにも時間がかかるので、
初めて会ってから打ち解けるまでに時間がかかってしまう。
友達は実際たくさんいるのだが、
表面的な付き合いが多く、
深い関係になるのはあまり好きではない。
そんな性格なため、本当に心を許せる人は考えてみても、
1人か2人くらいしか思い浮かばない。
中学は当たり前のように近所の公立校。
小学生の時、両親からECCに通わされていたので、
中学1年生の1学期の中間テストは100点だった。
そんな輝かしい英語デビューを果たしたつもりだったが、
それ以来英語が全くわからず、気がつけばなぜか英語は私の中の苦手科目になっていた。
関係副詞だか何だかが始まった辺りから、
徐々に英語とは疎遠になっていた。
高校は中の上くらいのところに進学した。
勉強そこそこ、部活動そこそこで平々凡々な学生生活を過ごした。
高校2年生の秋から冬にかけて不安を覚え始めた。
中学の友人に会うと受験勉強をすでに始めているのだ。
もちろん大学受験だ。
大学受験の”だ”の字も頭になかった私としては衝撃を受けたのを覚えている。
親は大学卒。
兄もすでに大学に進学していた。
自分も大学に進学するんだろうと勝手に思ってはいたが、
全く大学というものを身近に感じていなかった。
ただ、目の前の生活を日々過ごしていただけだった。
あまり計画を立てるというのは好きじゃなかった。
得意ではないから好きじゃないと言い換えることもできるが、
思い立ったが吉日といつも自分に言い聞かせ、
勢いに任せ、最後まで一気にやり切るようにしていた。
というよりかはやらずにはいられなかった。
計画を立てると計画を立て終わった時には、
気持ちも少し落ち着いてしまうし、
いろいろと不安要素も見えてきてしまう。
計画を立てることによって腰が上がらなくなってしまうのだ。
計画を立てて進み、都度状況に合わせて計画を修正していくなど、
そんな大人びたこともできるわけもなく。
気持ち先行型で物事を進めるタイプだった。
現在はマレーシアにいる。
計画無しにマレーシアに移住などできるわけはないので、
社会生活を通して少しは大人びた計画を立てるという行為ができているかもしれない。
が、やはり気持ち先行型の面が強くここまできていることは言うまでもない。
インターネットを開けば、世界中どこにいても情報リッチな現在、
直感からくる、この行動は良い、この行動はまずいという判断に間違いが起きにくくなっていると、
今は強く感じている。
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