ストレス社会を生き抜くことのハイリスク・ローリターンという現実


マレーシアのプール付きコンドミニアムでビールを飲んでいる。

祝日や土日というわけではなく、
ごく普通の平日にだ。

2015年からマレーシアに住み働いている。

ちょうど30才を迎えた年、日本を飛び出し海外で働くことを決意した。

ボヤーっと海外に出たい。
海外で働いてみたい。ということはずっと考えていた。

ただ、何か人とは違う何かをやって見たかっただけで、
それが英語を使って海外で働いてみたかっただけということかもしれない。

ただ、今こうして好きな時に好きな場所にいられるということは、
ほんの数年前までは考えもしなかった。

人生はちょっと行動に移すだけで思いがけないほど激変する。

それを証明するかのように私の生活は日々刺激的で変化している。

セブ島で1年6ヶ月。

マレーシアに移住し2年。

マレーシアに移住後、仕事の関係でタイに6ヶ月いたこともあった。

自由に生活する幅がどんどん広がっている。

かといって、日本で過ごしていた時の生活レベルが下がっているわけではない。

給料は日本にいた時よりは高い。
海外では交渉次第なので自分の可能性に挑戦する機会も多い。

ショッピングモールを除けば物価は安い。

おのずと生活は楽になっていった。

場所や時間に対しても自分の好きなようにできるようになった。

煩わしい人間関係だって当然無縁になった。

ストレスの日本社会が当然だと思って生活することしか知らなかったことが、
今では大きなリスクであったと断言できる。

海外に出てみると気がつくことがある。

自分の仕事に責任とプライドを持って自由に生きている人はとても多い。

そういった方々に多くあってきた。

人間関係も、場所も、時間も自分の自由となる幅が広がる。

ここまでくるのに決して楽なことばかりではなかった。

たった一人で海外にきて生活を始めるのに大変じゃないわけがない。

ただ、それも今となっては私を強くしてくれた。

その点については以下のメールセミナーでも紹介しているので、
興味があれば読んでもらえればと思う。





とは言っても、英語を話せたらカッコいいなぁとか、
飛行機で飛び回って仕事をしていたらビジネスマンぽいなぁとかその程度。

英語も出来なければ、
仕事だって何か自分で一人でやりきれるスキルがあるわけでもなかったんです。

ただ、脱出計画は進行していました。

計画と言っても具体的なことは何もしていません。

ただ、日本脱出へのモチベーションが下がらないようには気を付けていました。

海外の映画を見たり、ドラマを見たり、実際それだけです。
TOEICの勉強も週末にはやっていました。

海外ドラマは四六時中見ていました。

海外への思いは強かったので、
英語に触れるだけで、モチベーションが下がることはなかったんです。



きっかけは突然に


30才というのはちょうど一つの節目として迎えやすかったというのはありますが、
28歳だろうが、35歳となろうが、タイミングが合えば海外に出るつもりではいました。

気持ちとしてポジティブでいようと自分に強く言い聞かせる日々だったんです。

私が海外で働くことに興味を持ったのは仕事の関係でフィリピンに出張で行ったことがきっかけでした。

日本と言うせまい世界しか知らなかった自分の価値観を大きく変えたのです。

フィリピン人の人たちは何よりも自分たちの私生活を大事にします。
私生活をエンジョイ出来ないのであれば、仕事だって変えてしまいます。

人生を楽しむために仕事があるという感覚です。

かと言って、仕事は適当かと言うとそうではありません。
国民柄、楽観的な部分はありますが仕事は真面目です。

海外の場合、専門職に分かれているため、自分の担当している分野はしっかりとこなします。
スパッとやるべきことをやって、定時に帰ってアフター5を楽しんでいます。

そんな人生に魅力を感じずには入れませんでした。


体の奥底から沸き立つ衝動


日本とはかけ離れているフィリピンという隣国で起きている日常を知ったことで、自分を刺激し続ける世界を知ってしまったんです。

外の世界が決して良い面だけでなく、つらく、大変なこともあるとはわかってはいても、

外の世界は、いったいどんなものなのだろう?

どんな人が生活していて、どんなことを考えて、 どんな場所で生きているのだろう?

究極的な好奇心が私を外の世界へと飛びだたせたのです。


突如として襲いくる、日本と言う環境を捨てる不安


日本という大変恵まれた環境を後にすることに一抹の不安もなかったというわけではなかったんです。

海外旅行や海外で働いたことがある方はご存知かもしれませんが、

衣食住は高いレベルで確保されており、インフラも整っている。

民主主義の国と言えど、社会主義のようにみんなが平等に富、サービスを共有できるようにコミュニティーが構成されている国はほかにあるだろうか。

近年は格差というワードがフィーチャーされることがよくありますが、
海外のほかの国に比べればかわいいものです。

各駅の人々が往来する通りに座り込んで、
ただ、ひたすらにお金を置いて行ってくれることを待つ人たちがいるだろうか。

いたとしても、日常めったにめにすることはないでしょう。

東南アジアでは容易に目にすることができます。


仲間なんかいない天涯孤独


行動起こすとき、同じ考えを示す仲間がいたり、
いなければそういったコミュニティーを求めて仲間を集いますが、
私は完全なる孤独でした。

日本を出て海外で働こうと考える方は少数と言うこともありますが、
わざわざ仲間を探そうとも思わなかったんです。

なぜなら、
ただ私は抑えきれない好奇心に突き動かされていただけだからです。

幸いにもインターネットの普及したこの時代に生まれ落ちたため、
すでに海外を歩き回り東南アジアに住み、
世界一周まで成しえている人もいるということを知ることが出来ました。

一人でも日本人が海外をたくましく生き抜いているということが分かれば何もこわいものなんてなかったんです。


海外就職への挑戦


言うは易し、やるは難しとはまさにこのことです。

どこの国でどんな仕事があるのか?

まさにそんな基本的なところから考えなければいけなかったんです。

考えの甘い私は東南アジアと言ったらシンガポール!

本当にその程度しか考えてなかったんです。

日本で就いていた職業と同じ職種で、
シンガポールで働きたい。

ただそれだけ。

驚くほどの視野の狭さ。

恥ずかしい限りです。

当然、就職口なんてそうは見つからない。。。

長年に夢に描いていた日本を飛び出し、海外を飛び回って働いてやる。

日本を脱出するための扉を一瞬で閉じられ、
目の前は真っ暗。

本当に真っ暗でした。

ただ、諦めだけは悪かった。

これが私の唯一の強みなのかもしれません。

というより諦めきれなかった。

海外で働くことが私の生きる道だと信じていたから。。。


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